【勝谷誠彦】あらためて惜しまれる人物。若いときから抜きん出ていた!?勝谷誠彦のエピソード
追悼・勝谷誠彦 “恐るべき新人”だった文春時代
突然の訃報だった。コラムニストとして活躍した勝谷誠彦氏が11月28日、肝不全のため亡くなった。57歳だった。勝谷氏のひとつ先輩にあたり、文藝春秋でともに編集者として働いたノンフィクション作家の柳澤健氏が、死を悼み、思い出を綴る。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/pickup/6304925
灘高時代の落ちこぼれエピソード。土曜日は高3の4クラスが1~4時限目までそれぞれ体育をやるのだが、勝谷氏は自分のクラスだけではなく他のクラスの時限もずっと体育に出てソフトボールをやっていたらしい。灘中学に入るくらいだから小学生では神童だったのだろうが曰く「中学入ったら黒板の文字が見えなくなった」そうで、学業はずっと低空飛行だったとのこと。仲良しの宮崎哲弥氏から「この人、灘を出て1浪で私大文系だよ。はっきり言ってカスだよ」と言われて顔を赤らめながら苦笑していた姿が懐かしい。
医者になれ、というような期待という暴力を浴びた子供は天才的に世間に反発する人間になりやすい。どうやら、この方もそうだったらしい。合掌
いろいろ賛否あるだろうけど
コンクリ事件の実名報道は本当に素晴らしいと思う
勝谷さん、お若い頃から凄い人物だったんですね。
テレビでの色々な発言、頷けることが多く大好きでした。
寂しいですね。他にこの様な方はいらっしゃらない気がします。残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
兵庫県知事選、勝谷氏が政治をする姿なんて想像し難いと言う本質外の理由で投票しなかったんですが、今思えば、落選が寿命をちょっと縮めたんかもな、と思わなくもない。中島らもといい、勝谷氏といい、尼出身の灘卒自称オチコボレは酒が理由で最後おかしくなっちゃったが、太く短くを地で行き過ぎる。もはや、「カッコワライ」やね。喪失感。合掌
灘中同級生も凄いのがズラりといますよね。
ザ・ボイスずっと聴いてました。
月曜担当で、週初めから毎週飛ばしてましたねw
最期は大好きな酒飲んで逝ってしまったのですね。
安らかに眠って下さい。
合掌
「野獣に人権はない」文春時代に加害少年達を実名報道に踏み切った原動力は、勝谷さんでした。
そして「あいつらはまたやりますよ。」と言ったとおりになりました。
「たかじんのそこまでいって委員会」でもとても面白かった。
朝鮮、中国はボロカスに言ってたし、面白く、時には熱く語っておられました。うつ病を患って、メディアへの露出が減りましたが、またNPでの復帰を楽しみにしていましたが、本当に残念です。 合掌
勝谷さんのおかげで竹島問題が世間の注目を浴びたんだよね
ご冥福をお祈りいたします
才能は間違いない人なのだが、酒がね。
酒は否定派ではないし、飲んで騒いでも迷惑にならなければ結構なのだが、依存症になるときっぱり断酒するほかないし、通院すべきだという
考えだ。勝谷さんは酒で問題を起こすタイプではないから、問題が明るみにならなかったのだと思う。
依存症になると、本人の覚悟だけでは止めることは不可能だと断言してよい。
依存症の治療はたぶん受けてなかったのだと思う。
ICUに入ったというが、そことアルコール依存治療とは連携はしていないだろうから。
宮崎哲弥が「自死だ」と言ったようだが、俺はそういう見方はしない。
自分の意志でとめられないのが依存なのだから。
賛否両論ある言論家だったけど、酒に負けてしまったというのは残念でならない
とはいえ、それも自ら選んだ悔いなき道であろうと拝察する
勝谷さん酒豪だったんですね
酒に溺れて命を短くしてしまいましたね
もっと辛辣なコメントをたくさん言って欲しかったですよね
サングラスの内側から愛嬌のある瞳をのぞかせながらね
勝谷さんが、以前美味しいお店を紹介している番組をよく見ていました。
当時、よく食べ飲み歩くのが好きでしょっちゅう毎日のように色んなとこ行ったりしていると語っておられて、「そんなに外食、しかも食べて飲んでして大丈夫かな」と心配はありました。
やはり毎日のように外食、しかも飲んで沢山食べては体にはよくなかったのかな…
でも正直、あの勝谷さんが紹介するお店は本当に美味しそうな店ばかりで、またそれを紹介する勝谷さんの喋りがお上手だったので好きなコーナーでしたね。
食べ物紹介する時、本当に嬉しそうに、また職人みたいに語る感じがどっか少年っぽさも感じました。
どうか安らかに…ありがとうございました。
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